正しい道、誤っている道。

 

 



「 もし、あの頃のわたしに戻れたら。
こんな道は 絶対に選ばない。」


なんだか最近、よくこのお話を聞きます😌

すごく、ものすごく、その気持ちわかる。
わたしもそう思ったこと、何度もあるから。


生きてる上で、自分の進む道を
『 自分で決断 』する瞬間て、度々訪れるもの。


その当時わたしは、

自分の進んできた道を、
『 正しい 』か『 間違っているか 』の ⭕️❌でしか判断できなかった。

 


でも、
約3年間に渡る、自分のトゲトゲしていた時期を 振り返れるようになった今、
思うことがある。


今、どんな道に進んでいようとも、

【 自らが『 選び 』、

そして『 決断 』して進んだ道 】に、代わりはない

ということ。

 


すなわち、
今、わたしたちが生きている この環境は、

【 自らが、意志を持って『 切り開いた道 』である 】

ということ。


自分の進んできた道を
今、後悔 ” できている ” なら、

ぜひプラスに考えて欲しい。

だって「 後悔できている 」その状態は、
私たちだけが 与えられた特権なのだから。


全力で考え、
苦しみながらも、リスクと 真っ正面から向き合い、
戦いを挑んだ。


そして、その状況下でも、

自分の「 強い意志 」と「 勇気 」を持ち、
反対意見がある中でも 貫き通した。


そんな背景の中で、当時のわたしたちが
自ら『 選択 』し『 決断 』した上での、道。

わたしは、大事にしたい。

⭕️❌で判断したり、
無駄な道だったと 全面否定してしまうなんて、
なんてもったいないことだろう と思う。


少なくともわたしは、

「 自らの意志で 決断した道 」なら
最終的には、全てが 土台になると信じてる。

 


どんなに遠回りに なったとしても、
決して 無駄な時間は過ごしていないはず。


あの時の『 決断 』があったから、
今のわたしがいて。

次のステージに チャレンジするために、
また『 決断 』の時を迎えようとしている、
今のわたしもいる。

 

2016.11.22 のInstagram📸より。

 

 

 

 

 

広く、深く、そして濃く。

 

 



新しいことを 始めることも
すっごく大事なことだけど、

今すでに持っているものに
磨きをかけることも、
すっごく大事なんだと思う。


広く、深く、そして 濃く。

 


その中でも、

何を目的としているのかを
“ 必ず ” 自分の中で 明確にしておくこと。

😊😊

 

 

2016.12.04 のInstagram📸より。

 

 

 

 

自分の夢に集中すること。

 

 

 


腕の中から溢れるほど、

たくさんある道具たち。

 


その道具の ” 使い方 ” はもちろん、


そもそも ” どんなタイミングで使うのか ” すら、わたしは知らない。


一生懸命、その道具たちを 使いこなすことに時間と労力を使って、

 

でも、上手く使えなくて 頭を抱えたり、
ネガティブな想いに押し潰されてしまったり...。

 



今になって気づいたことがある。


これって、『 本質からズレたところで悩んでない? 』って。


夢に向けて、ほんとうに集中しなきゃいけないことに 集中できなくなってしまって、
やっと気づいた。

 

 

実際に、
本質からズレたところで悩んで、怯えて、

やっと分かった。


『 本質からズレたところで悩む 』ことの、本質が。


これからは、

腕の中から溢れた、使い方の知らない道具たちは、

ダンボール箱📦にまとめて、
部屋の奥にそっと置いておこうと思う。


そして、
本来の 自分がやりたいこと、
夢に向かって、まっすぐでいようと思う。😊

 

 

 

2016.12.06 のInstagram📸より。

 

 

 

 

 

自分ルール。

 

 

 



「 こうしなきゃ 」「 こうあるべき 」

 

 


無意識のうちに

こんな言葉を使って、
あらゆる物事を 決め付けていることが多い気がする。


『 自分ルール 』は、強調していくと
『 自分ブランド 』を確立していく事にも繋がると思っているから、


全面否定は もちろんしないけど、


その「 こうあるべきだ 」の考えが、


時には 自分を縛り付けたり、
その考え自体が、時に 自分のお荷物になることも 少なくない。

 


「 自分は こういうタイプじゃない 」と決め付けずに、


今の、成長した自分に合わせて

『 自分ルール 』を書き換えていこうと思う。


目を閉じて、肩の力を抜いて、
頭を空っぽにして。


もっと、自分のセンサーなる物を信じる。

 


背骨が熱くなる感じ、
腹の底から湧き上がる感じ、

今にも身体が浮きそうな感じ。


最初は アタマや理屈じゃなくて、
ワクワクするか、しないか。

 


自分の 感じる力 で、物事を とことんシンプルにしていきたいと思う。

 

 

 

2016.11.10 のInstagram📸より。

 

 

 

 

 

変化。

 

 

 

 

 

いつもの流れを 断ち切りたいとき。

 

自分の中に持ち合わせている 悪いイメージを

払拭させたいとき。

 

 

わたしは 日常生活において、

 

大きかれ 小さかれ、

どこかしらに 『 変化 』をつけることにしている。

 

 

小さな変化は、

成長する “ きっかけ ” となるし、


大きな変化は、

それ自体が わたしの中で “ 革命 ” を起こしてくれる。

 


昨日まで 無意識にやっていたことが
見直す対象になったり、

 

新しい何かを 意識的に取り入れてみようとしたり、

 

 

 

わたしは、大きかれ 小さかれ
『 変化 』なしに 成長は得られないと思っている。

 


もちろん その 変化の形はさまざまで、

 

自分の意思とは関係のない所から
半ば強引に、いきなりやってくる 『 変化  』もあれば、

 

自分で 何かを変えたくて、
自らが意図的に 導き出し、取り入れる『 変化  』もある。

 

 


自分の中に

何か新しい変化を取り入れる場合。

 


例えば、

ほんとうに極端な例かもしれないが、

 

日々 ネガティブな考えに苛まれていて、
ポジティブ な考えを求めている人。

 

 

自らの頭に浮かび上がる考えを、

180度 変えるようなイメージになるわけだから


よっぽどのことがない限り、

自分からその変化を生み出すのは 難しいはず。

 

 

「 今日で ネガティブな自分とはお別れ!
明日から ポジティブ〜♪ 」

 

なんてことが
もし ほんとうに実現できるのなら、

 

もすごいエネルギーを必要とするだろうし、

 

自らのメンタルを

完璧に コントロールする能力を 持ち合わせていて、

そんな簡単に コロコロ変身できるのだから、

 

まず 悩んでいる人なんていないだろう。

みんなポジティブだ。(笑)

 

 

グローバル化が進んだことで

インターネットが普及し、

 

人 と 人 との距離が 近くなってきたように感じる 現代、

 

本や SNSなどを利用することで

その人の世界観はもちろん、その人の発信する言葉1つ1つを、

 

いい意味で、

“ 他からの影響 ” として受けてみたり、

 

その影響を受けた上で

自分に置き換えて、自分目線で 見直してみたり、

 

とても容易に できるようになった。

 

 

こんな風にすることで、


ポジティブな自分の考えが 構築されていき、


ネガティブな考えが、うまい具合に 自分の中から押し出されていく。

 

 

そうして最終的には、

 

ポジティブさを 自分のものにでき、

それを自分色に染め上げていくことで

 

時には それが 自らの武器 になっていくのだろう。

 

 

ネガティブ、ポジティブ という

明らかに極端な例をあげてみたが、

 

『 変化 』の形は、ほんとうに人それぞれ。

 

 

 

わたしの場合、

変化のきっかけは、 “ 他者から ” だった。

 

わたしが 安全地帯だと見なしていた そこは

電話1本で 危険地帯と化し、

 

わたしの 今まで積み上げてきたもの 全て を

ほんの一瞬で 奪い去った。

 

“ 裏切られる ” なんて、軽い言葉では 言い表せないほど、

あのときは 失意のどん底に落とされた。

 

しかも 自力で這い上がって来ること さえも

不可能なほどに、

身体を 切り刻まれた状態で。

 

 

ありがたいことに、

落ちることのできる限界まで 落とされたわたしは、

 

そのまま 人生という名の舞台から降りるか、

 

再び舞台で 光を浴びる、その日を目指して

『 新たな役柄 』に挑戦するか。

 

その、分かりやすすぎるほどの極端な

2択しかなかった。

 

 

わたしは、自分自身を

自らの力で 『 変化 』せざるを得なかったのだ。

 

新たな役柄を演じなければ、

この世界で息絶えていくのも時間の問題だった。

 

この世界に 生き残るために、

わたしは 新たな役柄を演じるべく

真新しい台本を手に取ったのだった...

 

 

 

今となっては

あの時の、この世のものとは思えない あの苦しみが愛おしく感じるほど。

 

言葉で言い表せないほどに、

ほんとうに感謝している。

 

そして

あの時は 散々恨んだ、わたしの運命だったが

 

21歳というタイミングで

あの苦しみを経験できたのも、

大きな 大きな意味があったように思う。

 

 

 

 

ありがとう、あの時の苦しんだ自分。

 

あなたのおかげで、今のわたしは大きく成長することができています。

 

あなたが、いかなる苦しみにも ぐっと耐えたから、

以前よりも、ずっとずっと “ 夢 ” に近づいたよ。

 

あなたの、苦しい間も諦めなかった

その判断に、今とっても感謝しています^ ^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花束。

 



 

草花を 幾本も束ねたもの、

 

それが 花束。

 

 

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それぞれのお花が、

一体感を崩さない ギリギリのラインで

個々に主張し合っているのが

 

わたしから見た 最大の魅力。

 

 

きっと、

1本1本それぞれを単体で見ても

 

「 あ、キレイなお花... 」
程度にしか、わたしたちって思わなくて。

 

束になるからこそ、

 

まとまりや、そこに生まれる協調性ならぬものが

奥行きや 立体感などの フォルムから 露わになり、

 

それに対して わたしたちは

心踊るような 感情を抱く。

 

花束を見ていると、

 

似たようなイメージを 持ち合わせた者同士が

一緒になるからこそ、


そこから放たれるパワーが生まれるような、

そんな気がする。

 

 

その中には、もちろん

大きく主張してくるお花もいれば、

脇役に定するお花もいて。

 

そして 普段は気づいてもらえないような草も、

主役を引き立てる役として

しっかりと重責を担う。

 

 でも それぞれが 殺し合うことなく、
どこか調和しているような気さえする。

 

 

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不思議なんだけど、花束って

こう、ちゃんと見ると

見る方向によって、

丸っきり異なった表情をする。

 

静かに優しく微笑みかける反面、

 

短い命を 悟っているかのように

どこか 悲しく目を細める。

 

 

自らの最期を理解し、受け入れているものほど

 

「 今 」を 最大限 美しく生きようとする。

 

 

花って、なんてステキなんだろう。

 

 

 

 

 

未来予測、そして、いま。

 

 

 

 


わたしたち人間は、
“ 未来を予測することは不可能だ ” と 気づいていただろうか。

 


今から10年前、

世の中に スマートフォンが普及し、
SNSが こんなにも発達して、

“ 歩きスマホ ” なんて言葉を
あちこちで耳にするようになることを、

果たして
10年前のあのとき、誰が想像していただろうか。

 

たった5年先の未来さえも、
わたしたちは予測がつかないのだ。



わたしは過去に、長期計画を立てて
自らを 泥沼に引きずり込み、

自分で 自分を 破滅へ導いたことがある。


今思えば、その当時のわたしは、

“ 夢を追いかけるための 長期計画 ” と題して、


自分の都合よく進む
“ いいイメージの未来 ” だけを 描いていたように思う。

言わば、自分勝手な 理想郷のようなものを
追い求めてしまっていたのだ。


自分勝手な理想郷と
現実とが 重なるわけもなく、

計画よりも 遅れをとってしまっていることに
焦りを感じ、それが 憤りと化し、

未来への恐怖にと 繋がってしまっていた。

 


あれもしなくちゃ、

いや、こっちもやらなくちゃ。

 

何が足りない?

 

あれも これも...

足りていないものだらけだ、

あぁ、どこから手をつけよう...

 

 

たくさん たくさん悩んで

片っぱしからチャレンジするのに、

 

自分の理想だけが 一人歩きをして

なかなか近づけていない気がして、

 

それにもまた焦り、不安と恐怖に苛まれる。

 

 

 


そんな過去を踏まえて、
わたしが大事にしていること。

 


それは、「『 今 』に集中する 」こと。

 


時には、目先のことだけに とことん集中する
“ 勇気 ”を持つこと。


これは決して、
視野を狭くしているわけではない。

後先 考えずに、突っ込んで行ってるわけでもない。


その後が より良い状態になるために、
『 今 』なにをすべきか。

を、一生懸命 頭を捻った上で
1つ1つ行動に移していく ということだ。


「『 今 』を集中して生きる 」ことへの覚悟って、
生半可な気持ちでは 出来ないと思っている。


もし こうなってしまったら、どうしよう。


このままで、果たして大丈夫なのだろうか。

たくさんの 不安や 恐怖、焦りと
対面することだろう。


やりたいことが より明確で、


且つ、将来への根拠のない恐怖に 打ち勝つことが出来たとき、

はじめて、
当たり前にやってくる毎日の中で
その一瞬一瞬に 集中することができる。

 


そして、
その『 今 』の積み重ねによって

過去の自分がいた環境よりも、
きっと、より充実したものを作り出せるようになる。

 


ほんとうに、ちょっとずつかもしれない、
気づけないほど 小さな変化かもしれない、

けれど、いつの日か
ちょっぴり余裕ができて、

自分の変化を振り返るタイミングと出会えたとき、
少しずつ結果が変わってきていることに
ひっくり返るほど 驚くはず。


未来を恐れず、過去に執着せず、
『 今 』を生きる。


 

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