名前。

 

 

 

 


名前。

 

 

それは、


わたしたち人間が

『 それぞれの存在を、

“ 個別 ” に把握するべきである 』

と認識したときに、

与え、与えられるもの。


つまり、


『 他とは 全く違うものとして、

“ 区別 ” する 』

 

ことを言う。

 


そして それは、

 

ほとんどの場合が、
【 お父さんお母さんからの
最初で最後の、“ 最大 ” のプレゼント? 】である。


赤ちゃんが
まだお母さんのお腹にいた時は、

2つの命で、1つの名前を使っていて。

 

その時はまだ、

お母さんの名前を 名乗っていた。

 


生まれてはじめて、


お母さんとは切り離された存在 として、

1人の人間だと認められる。


そして、その瞬間

【 名前 】という 素敵なプレゼント?を受け取ることになる。


お父さんとお母さんが、

 

たくさん、ほんとうに たっくさん考えて、


与えてくれた【 名前 】。

 


もしかしたら、

お母さんのお腹の中にいるときから
考えてくれていたのかもしれない。

 

 

自分の赤ちゃんには、

この漢字を使ってあげたい。

 

こんな子になって欲しい、

こんな風に輝いて欲しい、

 


そんな、

たくさんの夢と希望の詰まった


わたしたちの【 名前 】。

 


楽しくて、とにかく笑顔のときも、


壁にぶち当たって

もがき苦しんでいるときも、

 

常に わたしたちのとなりに、

そっと寄り添ってくれる。


そして いつの日か、


お父さん お母さんと

お別れしなければいけなくなった その時も、


わたしたちの肩に、

そっと手をかけてくれているはず。

 


そして


大切な人を失おうとも、

残酷にも ただただ続いていく

 

わたしたちの歩む人生において、

 

共につまずき、共に行き詰まり、

そして 共に進むことになる。

 

 


名前って、

なんて素敵な贈り物なんだろう。

 


わたしは、ほんっとうに 自分の名前が大好き ??

 


これから先、

まだまだ長いであろう人生。


名前負けだけは、絶対にしないように


そして、お父さんお母さんを大事に生きていく(*^^*)

 

 


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夢が 現実になるとき。

 

 

 



15年前。

 

わたしが 小学2年生だったとき。

 


北海道で 家族3人で外乗?をして、

生まれて初めて 1人で馬に乗った。

 

 


その頃から、

「 おうちで、自分の馬?を飼いたい! 」と、

おっきな、とてつもなく おっきな夢を見ていた。

 



馬具屋さんのカタログを見ながら、

「 こんな お洋服着せよう、

ゼッケンはこの色が似合うかな 」

 

と、あんな風に こんな風にと

マーカーで チェックをし、付箋まで貼っていたほどだった。

 

一生懸命に電卓をたたき、

 

当時の 月に500円のおこづかいで

どうしたら 欲しい道具類が買えるのか、

 

揃えるまで どれくらいかかるのか、

必死に計算していた。

 

 

 

そして。


近所の公園の 横にある、

永遠とまっすぐ続く 川沿いを

愛馬?と一緒に お散歩するのが 夢だった。

 

 

夕日がとてもキレイに見えるその川沿いは、

 

近所の人が使うウォーキングコースとして

ある程度 整備されている。

 

 

その ウォーキングコースから 寄り道をして

隅っこに生えている クローバー?を食べさせたり、

 

夕日に向かって、川沿いを一緒に走ったり。

 

 

当時7歳だったわたしは、

「 叶えられない夢 」と知りながらも

 

ウキウキしたり、ワクワクしたり

していたものだ。

 

 

 


あれから、

約13年の月日が流れた 今。

 


「 叶えられない夢 」と知りながらも、

幼いながらも 憧れていた

 

 “ 自分の馬 ” を迎えて、

 

今日で 【 808日 】になる。

 

 

 

 

 

“ 自分の馬 ” を持つことになったのも、

 

単なる偶然ではなくて、

ほんとうに 巡り合わせ。

 

 

 なぜなら、

 

わたしのおうちは、

“ 決して ” お金持ちではないから。

 

 

父親が、経営者でもなければ

会社の お偉いさんクラスでもない。

 

父親は サラリーマンで

母親は 専業主婦の、

ごくごく普通の 3人家族。

 

 

何が言いたいのかと言うと、

 

「 親が買い与えてくれた 馬 」

“ ではない ” ということ。

 

「 偶然 」、

舞い込んできたもの ではないということ。

 

 

わたしが 馬の道に進むことを決め、

その中で 夢を掴むために

 

19歳のわたしが、今まで一度たりとも

下げたことのなかった 頭を下げ、

 

一生懸命、身振り手振りで 説得をし、

 

いただいたお金と

自分の貯金を 片っぱしから かき集めて

 

「 自分で 手に入れた 馬 」だということ。

 

偶然ではなく、

「 必然 」だということ。

 

 

 

こうやって、


あんなにも小さくて、
何にも出来なかった 1人の少女??が

 

今こうして、
夢を1つずつ叶えている。

 

 

もちろんその背景には、


どれだけの人の 理解 があり、気遣い があり、協力があったことか。

 

 

改めて思い返しても、

心にグッとくるものがある。

 

 

 

生まれて22年。

 


ほんとうに たくさんの挫折があったけど、

 

どんなに努力しても

花 開かないときもあったけど、

 

何一つとして、

無駄だったことはなかったと思っているし

 


これから先の人生も、


わたしは、

ひとつひとつのことに 真剣に向き合っていく。

 

 

それは、


10年先の自分が、

毎日 コンクリートの地面と 睨めっこしながら

ため息をつきながら 生活をしないですむようにでもある。

 

 

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2016年 ⇒ 2017年。

 

 

 

 

 

 

新たな年になって

それをひとつの節目と考え、

 

人は 自分の中の邪悪なものを取り去り、

 新しいことを取り入れようとする。

 

 

 

 

ちょっと遡って、2016年のはじまり。

 

去年の出だしに 心の中にあった想いは、

 

「 もがき苦しみながらも

何事にも立ち向かっていかなければいけない 」

 

そんな、心のざわめき。

 

 

小石につまずいても 前を向き、

膝をついて転んでも 立ち上がり、

 

そして、

泥のぬかるみに足を取られ

顔から滑ったとしても、

 

決して 歩みを止めない。

 

 

失敗してもへこたれず、

途中でやめない。最後までやり通す。

 

そんな、どこか

どっしりと構えるような気持ちで迎えた

1年前。

 

 

 

ほんとうに、ほんっとうに、

いろんな事があった。

 

 

メンタルを 予後不良と思われるほど

ボロボロにされたことだってあったし、

 

言葉によって 深い傷を負ったこともあった。

 

 

ここまで

「 人を信用することが、実はとても怖いこと 」

だと感じたことも、今まで1度もなかった。

 

 

 

ただ、今思えば、

 

去年の1年間があったからこそ

『 人間として成長した 』のは、

言わずともわかる話。

 

 

今まで、

ある程度は「 自立している 」と思っていた自分の考えをも、

いい意味で 覆すことができた。

 

 

戦車のごとく、

“ 何もかもを、なぎ倒していくような勢いの

イメージ ” で過ごした 去年だったが、

 

2016年を 残り3ヶ月としたところで、

気づいたことがある。

 

 

“ 戦車でいること ” のメリット。

 

⇒ 何に対しても、立ち向かっていく。

失敗を恐れない。闘争心、勢いがある。 

 

 

デメリット。

 

なぎ倒してまでも、突き進む

= 自分のことしか考えていない???

 

 

こう、気づいてしまったのだ。

 

そして、メリット部分しか見ずに

突き進んだ結果、

 

目の前に表れた デメリット部分に

行く手をはばまれ、

尚かつ、 自分が 大きな痛手を負うことになった。

 

 

だから 2017年は、

 

『 やると思ったら、なんでもやる!

今すぐやる! 』

 

なんてイメージは捨てて、

 

 

『 それを “ 今 ” やるべきなのか、

それとも 手を出すのは “ 今 ” ではないのか 』

 

に着目したいと思う。

 

 

決して、

失敗を恐れて 立ち向かわないわけではない。

 

 

けど、筋肉マッチョな巨人に、

 

武器なし、且つ 素手で

わたしが戦いを挑んだところで、

結果は容易に想像できる ということだ。

 

 

「 やるのか やらないのか 」

という判断基準しかなかった、2016年。

 

 

 

2017年は、

「 やる 」という判断を下したときに

 

「 今やるべきなのか 今ではないのか 」

 

まで考えてから、行動に移すことにする。

 

 

2016年の

戦車のごとく、何にでも 体当たりしていった

自分がいたからこそ、

 

掴めたイメージだと思っているから、

決して無駄な1年ではなかった。

 

 

2016年 ありがとう!と言いながらも

 

2017年は もっと変わっていくよ!と、

 

後ろは振り返らずに、前だけを見ていたい。

 

 

 

香り。

 

 

 

 

 

小学生のときのお話。

 

 

通学路の途中に 公園があった。

 

 

 

そう、たしか滑り台の奥のほう、

 

他の木々と一緒になって、

キンモクセイ ” の樹木が 生えていた。

 

 

 

 

下校のとき、

公園を横切ると、キンモクセイ のいい香りが

どこからかしてきて

 

その香りを元に、キンモクセイ の樹木を

夕方まで 友達と探したことがあった。

 

 

とてつもなく、キレイに整備された公園ではなかったから、

 

両手で 草木をかき分けながら、

大きなランドセルを背に、キンモクセイ を探した。

 

 

そして、

表からは 到底 見つけるのは不可能だろうという、草木の奥のほうで

 

大きな キンモクセイの樹木を発見したのだ。

 

 

それから毎日、学校が終わると

友達と一緒に キンモクセイ の所に行って、

 

わざわざ においを嗅いでから、

それぞれ おうちに帰ったのを 思い出した。

 

 

 

 

 

最近、改めて気づいたこと。

 

 

 

自然に生えている キンモクセイ の樹木は、

 

たとえ

その樹木の場所を まわりが気づいていようが、いまいが、

 

 

もっと具体的に言えば、

 

 

通学路の 誰もが目につく場所に生えていようが、

 

整備されていない公園の

生い茂った 草木に隠れていようが、

 

 

“ 必ず ”

 

【 香り 】を放ち続けている。

 

 

 

そして。

 

 

その香りに魅了され、

キンモクセイの樹木を 探し当て

 

草木を分けて 足しげく通った

小学生の頃の わたしのように、

 

 

 

キンモクセイの香りのする元を探し当て、

そこに人々が通い、集まることで、

 

そこには、自然と『 道 』ができあがる。

 

 

 

つまり、

 

己が いい香りを放ち続けてさえいれば、

必ず誰かが見つけてくれる。

 

そして、そこには

新たな『 道 』を切り開くチャンスが 

共に現れる。

 

 

 

上手くいかないことだらけで、

 

足音はするのに、  

 

自分の居場所を気づいてもらえないまま、

通り過ぎて行ってしまうのを

見送る日々が 続いているかもしれない。

 

 

でも、腐っちゃいけない。

 

そして、途中で止めちゃいけない。

 

 

夢に向かって 挑戦していること、

世の中に 発信していること、

 

自分の【 香り 】を出し続けるからこそ、

道が切り開ける。

 

 

 

今いる場所が、

たとえ 草木に隠れて、表から見えなかったとしても、

 

魅力的な香りを出し続けている人には、

必ず、何かしらの チャンスが訪れる。

 

 

 

そう思って、

わたしも発信し続けようと思う。

 

 

 

どこからともなく、

強く、だけど どこか懐かしい、甘い香りが漂ってきて

 

姿より先に、香りで自分をアピールする

キンモクセイ ” のように。

 

 

 

 

 

 

 

素直に生きること ② 究極の選択

 

 

 

 

①の記事では、

 

22歳のわたしの、そのままの「 勢い 」みたいなものを言葉として表現しました。

 

 

 

 ②では、ちょっと違う視点から 書いてみようと思います??

 

 

 

 

『 自分に 素直に生きる 』

 

 

これは、実を言うと

かなり難しいことだと 思っている。

 

 

あれ、昨日と丸っ切り違うこと言ってますけど?

って、ぜひ突っ込んでください。(笑)

 

 

 

 

自分に素直になって、

やりたいことをやりたいようにやる。

 

 

これは、言葉だと すごくシンプルなものに聞こえるし、

 

うんうん、やりなよ!

と簡単に言えるかもしれない。

 

 

でもよーく頭を使って考えてみると、

 

実は ハイリスクを背負わなきゃいけなかったり することに気づく。

 

 

 

わたしたちは 毎日生きていて、

仕事の上でも、プライベートの上でも、

それぞれの立場ってものがある。

 

 

 

せっかく幅広い年齢層の方に

読んでいただいているので、

 

わかりやすい例えを出してみる。

 

 ( これなら、10代の子もわかるかな? )

 

 

 

例えば、わたしの父親のお話。

 

 

わたしの父親は、

数年前に ある大きな決断を迫られた。

 

 

『 退職金が出るけど、リストラ 』

 

『 退職金が出ないけど、

定年退職するまで働き続けられる 』

 

 

究極だね...

 

 

 

その当時、わたしの父親は40代後半。

 

ある程度、社内では リーダーのような立場になっていて、

 

若い社員たちの失敗を、

「 こういう奴がいてさ〜 」なんて笑いながら

 

その話を つまみとして、ビールを飲んでいるような

 

極々 普通のサラリーマン。

 

 

そんな彼が、

あるとき突然、究極の選択を余儀なくされたのだ。

 

 

これには相当 悩んでいた。

 

 

彼のまわりの同期たち、年齢の近い 先輩や後輩たちは、

リストラ予定のメンバーとして リストアップされ、

 

そのまま 会社を去って行った。

 

 

 

それぞれが、それぞれの立場を考慮した上での

決断だろう。

 

 

では、わたしの父親はどうしたか。

 

 

会社に残ることを決断した。

 

 

退職金が出ない上に、

お給料が減らされ、ボーナスをカットされることを知りながら、

 

働き続けることを決断したのだ。

 

 

 

あれから数年経って、

わたしたち家族が 新しい生活にも慣れてきた現在、

 

父親に 恐る恐る聞いてみた。

 

 

なぜあの時、同期たちと同じ決断をしなかったのか。

 

 

父親の答えは こうだ。

 

 

父親であり 夫である存在は、ドンと腰を据えていることで、

家族に安心を与えることもある。

 

お母さんが 専業主婦で、

お前が あと数年学生でいるこの生活は変わらないんだから。

 

まあ、独り身だったら とっくに辞めてたけどな〜!(笑)

 

家族がいると、守るものがあると、

時には肩書きが 安心感を与えるときもあるんだよ。

 

 数字だけ追いかけて 損得を考えていると、

大事なものを失ってしまう時もあるからな〜。

 

この決断は、お金じゃないんだよ。

オレが 1番大事なものを守るための、決断なんだよ。」

 

 

と。

 

 

 

この言葉の ひとつひとつに、

 

父親として 夫として、何より男としての

「 責任感 」たるものが詰まっているような気がした。

 

 

そしてわたしが感じたのは、

 

『 自分の気持ちに素直になる 』って、

 

必ずしも 自分のことだけを考えているわけではないということ。

 

 

それぞれの立場、

立場ゆえの守らなきゃいけないもの、

 

100人いれば、きっと100通りの

守らなきゃいけないものだったり、大事なものがある。

 

 

そんな大切なことに気づかされた。

 

 

 

でも、これだけは間違えちゃいけない。

 

 

自分のことであれ、家族のことであれ、

 

決断している人は、

必ず『 自分の気持ちに素直になっている 』ということ。

 

 

数字だけ追いかけて

目の前の損得だけしか見えていない人は、

 

『 自分の気持ちに素直になっている 』とは言えない。

 

その証拠に、リスクを負うことを恐れている。

 

 

時には、

「 リスクを負わないこと 」それ自体が、

のちのち リスクに繋がったりすることを、

 

わたしたちは、忘れてはいけないと思う。

 

 

 

最後に。

 

お世話になっている方が、

こんなステキなメッセージを送ってくださった。

 

「 悩んだり、苦しんだりしても、

素直になってみると 意外と上手くいくって

再確認できる人は 強いですよ ^ ^ 」

 

 

 

今日も、それぞれの立場の人が

それぞれhappyで過ごせますように?(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

素直に生きること ①

 

 

 

 



『 自分に素直に 』

 

 

 

このフレーズを聞いて、
頭に思い浮かべることは、人それぞれ違うと思う。

 



わたしは、

 

『 素直に生きる 』

 

って、

 

頭をフル回転させて、

メリット デメリットを 並び立て、

 

自分にとって 「 損か 得か 」を考えたり、

 

自分に 「 出来るか 出来ないか 」を考えた上で

 

決断すること...

 


では、

 

” 決して ない ”

 

と思う。

 



費用、時間、
そして何より、メンタル。

 


リスクを上げ出したら、キリがない。


そして、リスクを上げ出したら

「 出来ない理由 」しか増えない。

 



どうせ人生生きてるんだから、

せっかくなんだから、
ワクワクすることで 頭の中をいっぱいにしたい!?

 



『 自分に素直に生きる 』

って、わたしはそういうことだと思う。


自分のセンサーなるものが、

ビビッと反応するときって あると思う。

 

 

毎回するわけではないから、

ついつい見逃してしまうけど、誰しも必ずあるはず。

 


背骨が熱くなったり、鳥肌がたったり。


腹の底から、何かが湧き上がるような感じがしたり、


身体が浮くような感覚もしたりする。

 


自分の身体が発している、


小さな、とっても小さな声を キャッチできるかどうか。

 


そして、

その「 自分の素直な声 」を信じてあげられるかどうか。

 



ビビッと来たら、

「 やりたい! 」って素直な想いなんだから、

 

 

たまには、素直な自分の意見を尊重しても

バチは当たらないでしょ??

 

 

素直に「 やりたい!」って言えばいいと思う。

 

 

 

きっと、

センサーがビビッと来てる時のわたしたちって、

 

 

いつもの倍くらい、すっごく 目がおっきくなっていて。

 

その瞳が  水の中のビー玉みたいに キラキラしていて。

 

そして、眉毛も ほっぺも、

顔のあらゆる筋肉が グッて上がって。

 

 

 

まるで、

 

草木をかき分けて進んでいったその先で、

 

図鑑の中で一目惚れした

美しい蝶 を見つけた少年のような、

 

そんな表情をしているはず。

 

  

 

身体中から エネルギーが溢れ出て、

 

踊れもしない ダンスを踊ってみたり。

 

いきなり筋トレで 自分を追い込んでみたり。 

 

 

わたしの場合、

iphone持って 踊り狂った延長で、

 

いきなり懸垂はじめてみたけど。(笑)

 

 

 

 

実はわたしも、一昨日、

 

久しぶりに、ビビッとセンサーが反応?

 


もちろん、

素直な気持ちのままに「 ぜひやりたいです!」って言ってみた (*^^*)

 

 

 

まあ、言ってしまったあとから考えれば、

 

週休1日で、

2連休だの、有休だのが存在しないわたし。

 

 

どうやって10日間?も休みとるのよ!

 

って話。 (笑)

 

 

 

ずっと憧れていて、何回も 動画や写真を見ていた世界。

 

 

でも、せっかく巡ってきたチャンスを目の前にしても、

 

「 やりたい!と思う自分 」と

「 時間がない、お金がない、と出来ない理由を並べてしまう自分 」とが共存する。

 

 

でもやっぱり、

 

リスクは数え切れないほどあるし、

断る理由を 探すのなんて容易だけど、

 

久しぶりに感じた、

このワクワクした 素直な気持ちを

わたしは大切にしたいと思う ?♡


 

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影響力

 

 

 

 


『 どう思われてるか 』から、

『 どう伝えたいか 』へ 。

 

 



2週間前から、あるアーティストの曲を よく聴くようになった。???

 

 


今まで聴くことのなかった、

むしろ敬遠し続けてきたジャンルの 曲。

 

 


ちゃんと向き合ったことがなかっただけで、

まさに、今のわたしの、胸の内から溢れ出てくる感情に 音色を付け、
言葉として表現しているような曲たち。

 


そして、ある共通点に気づく。

 


『 一流アーティストたちの共通点 』

 

 


それは

 

【 「 全てをさらけ出すこと 」に対して、

勇気があること。全く迷いがないこと 】

 

 



人間と 動物の差は、どこから生まれたのか?

という問いに、


「 歌うことによって、人間は 他の動物とは違う存在になった 」という1つの説がある。

 

 


何かが心の中で弾けたとき、

その感情を叫ぶしかなかったのだ。

 

 


そして、そこにメロディーが加わったのが
歌うことの始まりだという。

 


つまり、

 

『 ありのままの まっすぐな想いを伝えたい 』


という その感情を解放させた結果なのだ。

 



ありのままを表現することで、


その人の言葉が説得力のあるものになり、

同時に影響力が生まれる。

 

 


そして、その人を魅力的に感じる人が出てきて、自然と興味や関心を持つ。

 

 



わたしも少しずつ、自分をさらけ出す時間を持とう。

 


そして、


時に、人に 言葉に メロディーに魅かれ、
時に、人の心に響くような言葉で表現しよう。

 

 

いい意味で 影響もされるし、

他から何かを受け取ることもするけど、

 

何よりも、わたしは影響力のある人になりたい。

 

 

自分のことを応援してくれる人、

見守ってくれる人、常に気にかけてくれる人、

そして 愛してくれている人。

 

 

そういう人たちの存在を意識した上で、

「 わたしらしく 」振る舞う。

 

好きなことをし、やりたいことをする。

 

 

こうやって、与え続けるという一方的な関係ではなくて、

与え、自分も受け取る、そんな関係が好き。

 

 

そうすれば、目指す世界をみんなでシェアすることが出来るはずだし、

 

一緒に世界を作り上げることができる (*^^*)

 

 

 

これが、わたしの目指す

 

「 わたしらしさ 」をみんなでシェアすることで、影響力が増している状態。