『 非日常 』が もたらしてくれる変化
【 出張帰りに、1人で ドバイに行ってみたの。 行ったことなかったから。^ ^ 】
すごくお世話になっている お客様の1人👩🏻に、このような方がいる。
お仕事で海外に行っていたそうで、ドバイ🇦🇪経由で 成田🇯🇵に帰ってくる予定だったという。
... いやいや。ちょっと待って。
頭の整理がつかない。🙄🙄(笑)
わたしに言わせれば、彼女のノリは完全に
「 原宿行く予定あったから、帰りに渋谷 寄って帰ってきた〜! 」
みたいな。(笑)
ドバイ🇦🇪行ったことなかったから、降りてみようと思って!?!?!?
何を言ってるんだ?この人は。
随分と、すっとんきょうな声を出してしまった😂😂(笑)
右も左も 全く知らない土地に、
しかも たった1人で降りたつ。
そして、まさかのノープラン。
どこに行こう、何を見よう、何1つ決めないまま、異空間へと飛び込む。
非日常的なもの だらけのはずなのに、
そこに 『 怖い 』という感情は、一切存在しなかったのだと言う。
それよりも、初めての街を歩く 「 緊張感 」を楽しみ、
様々な発見に 胸を躍らせたそう。
そして彼女は、最後にこう話している。
『 いつも同じところで満足していちゃダメだね。』
【 非日常的な環境に 自らを置くことで、
心身共に 更なる高みへと引き上げることができる 】
ここに繋がった と思った。
非日常的な環境は、
自分を急成長させてくれる、そんなミラクルを起こす。
話は 少しそれるが、
わたしと同い年でありながら、
高級ホテル The Ritz-Carlton、Marriot、Hilton、IntercontinentalのVIPであり、
香港 マカオなどの一流の場でVIP待遇を受けている人がいる。
その VIP対応を受けているだけではなく、様々な国の人から好かれている彼を、
わたしのパートナーは、同い年でありながらも『 師匠 』と呼び 慕っている。
そんな わたしのパートナーも、先月?その師匠と共に、香港 マカオへ行き、
『 異なる言語の中で コミュニティを作る 』という、厳しいコンテンツを行ったという。
そして今、別の仲間👦🏻が
一流をインストールするために、1人で香港まで行き、師匠のもとで コンテンツに挑んでいる。
わたしの周りには、『 同じところで満足していては いけない 』と考える人が多い。😊
わたしもこの考えを持つようになってから、
休みの日には 必ず、
『 都内の行ったことのない場所に、1人で飛び込む 』ことを続けている。
言葉は通じるし、道に迷ったら マップを開けば 何とかなるだろうし、
海外と比べたら 雲泥の差かもしれないが、
週休1日連休なし、おまけに方向音痴で、実はシャイだったりするわたしには、
STEP ⑴ として随分なチャレンジなのだ。(笑)
わたしは、【 疲れない人生より、疲れる人生 】を選ぶ。
さぁ、7連勤が終わったあとのお休みは!
朝 東京で、香港帰りの彼と 「 伝え方 」の勉強会をして。
お昼に浅草に移動、2人目と合流。
1人で浅草に残り、そこから東京駅へ。
そのまま 地元に戻り、3人目と合流 打ち合わせ。
そして最後は 美容院!
我ながらタフ!😂(笑)
だけど、忙しい時の方が アイデアが生まれやすいから、
休みの日もスケジュールぎっちり派😌😌
さぁ、明日もお仕事大忙し!
明日もワクワクしますように!!!
1日の終わりに、『疲れた』と言うか『充実していた』と言うか。
今日も、キレイな夕日とともに 1日が終わりました (*^^*)☁️
1日の終わりに、『 疲れた 』と思うか、『 充実していた 』と思うか。
その日1日を、どう過ごしたかの 簡単な セルフチェックができます😊😊
【 ただ言われたことを、聞いて そのままやる 】1日よりも、
仕事の効率・優先順位を【 自分の頭で考え、先々の流れを理解し、自分から動き出す 】1日のほうが、
より充実した1日を過ごせると思います (*^^*)
仕事内容的には、全く同じ毎日かもしれないけれど、
その中でもわたしは、
【 教えられたことを ただやるだけではなくて、自分で試行錯誤し、自分で経験し、自分で結果を創り出す 】
その能力を養うべく、
明日も 『 充実した1日へのスタートライン 』に立ちます!🏃🐎💨
成功する人は、失敗する人。
前に書いた記事から、
だいぶ日が空いてしまった...😢
それでも、
たくさん 頭の中で考えて、たくさん書き出して、自問自答の毎日でした。
blogに書きたいことが、たくさん溜まってしまったので、
過去の振り返り記事を 少し置いておいて、
今の頭の中を 整理していきたいと思います。
blogを更新していない間も、blogを開いてくれていた方、
ほんとうにありがとうございます😭❤️
わたしのモチベーションになります(*^^*)♡
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【 成功する人 】と、【 失敗する人 】。
「 成功する人 」と「 失敗する人 」を比較するのは、よくある話だ。
「 ○○の必勝法!」というタイトルで、
成功する人は、コレをやっている。が、失敗する人は、コレを選ぶ。
などと、両極端に見せかけるような記述をする。
今見れば、「 ? 」と感じるのだろうが、
わたしも つい最近までは、このことに違和感など感じたこともなかった。🙄🙄🌪
むしろ、納得していただろう。(笑)
「 だから失敗するんだよ〜 」と、小バカにさえ していたかもしれない。
たが、
『 厳しいと思っていることにも、声をあげて挑戦しなければならない 』状況に立たされている今、
気づいたことがある。
「『 成功した人 』=『 人より たくさん失敗してきた人 』である 」
と いうことだ。
メディアなどの、 【 成功した人 】を取り巻く環境は、
【 成功した部分 】しか見ていない。
もちろん、テレビや本に 出てくる、その【 成功した人 】は、
当然だが、” 成功してから ” 世の中に出てくる。
だから自然なのかもしれないが、
周りは 上手くいったところ、つまり 【 成功したところ 】だけを見ているのだ。
誰も、失敗をした所、苦しんでいた過去を わざわざピックアップして見る人はいない。
結果、『 成功したあの人は、才能があった。だから、結果がついてきた。』
となってしまう。
そこから生まれる プラスなものは何もなく、悲しい現実だが、
『 あの人は才能があったから成功した、ぼく/わたしには 才能がないから できないに決まっている。』
に繋がってしまうのである。
では、ここで『 成功した人 』の対義語としてくるのは、何か探ってみよう。
わたしが今まで触れてきた、あらゆる情報には、こんな事は書いてなかったので、
もちろん 正しいとは思っていないし、みんながみんなそうとは限らないだろうが、
あくまで わたしは、こう考える。
【 成功する人 】⇔【 ぐだぐだ 1人で考え込んで、結局 自分から動き出そうとしない人 】
わたしがこう、答えを出したのは、つい2日前。(笑)
実は、1週間前のわたしは、【 言うだけ言って、何も行動に移そうとしない人 】だった。
失敗、うんぬんの前に、そもそも やろうとしなかったのだ。
だからこの記事は、1週間前の自分への戒めでもある。(笑)
また次回のblogで、この1週間で体験したことを書こうと思います。(*^^*)
Good night !!! 🌚🌝
レールの上の人生 ④ 【 トンネルの出口が見えたとき 】
ここまで、ただ淡々と 過去の自分を振り返ってきたが、
やっとここで、 『 今までの 下を向いて歩いてきた自分 』に別れを告げるときが来た。
2014年の、3月。
春を目の前にして、まだ寒さが厳しかった あの時。
すっかり学校に行かなくなったわたしは、
毎日お昼過ぎから 営業終了時間 までアルバイトをし、
その他の時間を、近くのスタバで
『 夢中になれる事探し ( ただ飲み物を飲みながら、Googleで あれこれ検索していただけ ) 』をしていた。
大学生という肩書きは持っていたが、
いわゆる 『 フリーター 』というやつだ。
俗に言う、『 廃人 』。
でも そのやっていたアルバイトのおかげで、救われたことは間違いない。
毎日、老若男女問わず、たくさんのお客様とお話をするため、
身だしなみや 言葉遣いにも気を使い、
常に笑顔でいるように心がけていた。
逆に言えば、毎日そうしなければならない環境にいたおかげで、
悩んでいる時期も、鬱ぎ込まずに すんだのかもしれない。
その、わたしが 高校卒業してから始めていたのが、
【 乗馬クラブ 】でのアルバイト。
!?!?!?
乗馬クラブで アルバイトなんてあるの!?
そもそも 馬扱えるの!?
乗れるの!?
😂😂😂 (笑)
実は小学生の頃、
習い事の1つとして、2、3ヶ月だけ 乗馬クラブに通っていたことがあった。
今だから言えるが、
その頃は あまり面白く感じていなかった... (笑)
乗馬以外の、6つの習い事は 自分からやりたいと言い出したものだったが、
乗馬に関しては、父親の提案があって始めた習い事だったのだ。
その父親の提案理由も、少し変わっていた。
当時 反抗期だったわたしは、
物に当たることがすごく多かったようで、( 自分ではあまり覚えていない 😅)
毎日のように 家電が壊されていくのに、とうとう我慢ならなくなった父親が、
わたしを乗馬クラブへ連れて行ったのだ。
「 自分の思うようにならないから、普段 物に当たるんだよな。
じゃあ、馬に乗ってみろ。 言葉の話せない馬に乗って 走れるようになってみろ。
言うことを聞いてくれない事だってあるぞ、馬にだって意思があるんだから。
そんなとき時、どうしたらいいのかを学んでこい。」
との事だった。
思うようにならないと、すぐ物に当たっていたわたしを見て、
動物相手なら 当たることが出来ないのを、上手く利用したのだ。
おかげで、
割と早い段階で 心穏やかに過ごせるようになった。(笑)
そして何よりも、乗馬というスポーツがあることを知り、
馬が とても魅力的な動物であることを知った。
中学、高校とソフトテニス部に所属していたために、乗馬からは遠ざかっていたが、
高校卒業のタイミングで、アルバイトという形だが 馬と関わるチャンスが巡ってきた。
それが、乗馬クラブでのアルバイト。🐴
仕事内容は至ってシンプルで、
お客様のレッスンフォローと、
レッスン前の馬装講習 ( 鞍などの道具を着ける練習 )、
レッスンが終わった馬たちのお手入れ。主に この3つ。
わたしは ほんとうにこの仕事が大好きだった。
大好きな馬と、毎日一緒にいられる仕事。
なんて幸せなんだろう!と思っていた。
... と同時に、なぜ今まで気づかなかったのだろう、とも思った。
まさに灯台下暗し。(笑)
夢中になれる事を 見つけられた瞬間だった。
レールの上の人生 ③ 【 自分の今いる現実 】
レールの上の人生 ① の記事でも書いたが、
大学1年間を遊び倒し、いざ2年生になって 遊び飽きた時に、
夢中になれる事を見つけられず、すっかり空っぽになってしまったわたし。
そんなとき、大学の授業を受けるために教室に入ったのだが、
不思議な光景を目の当たりにしてしまったのだ。
大学の授業では、ほとんどの授業で 出席カードというものが配られる。
本来、誰が出席し 誰が欠席なのかを確認するために導入されている物だが、
言い方を変えれば、
そのカードに 名前を書いて 先生に提出すれば、『 その授業を90分間フルで出席していたことになる 』という物でもある。
改めて言わずとも、誰しも容易に想像できることだが、
『 授業が始まる5分前に 教室にいた人数 』と、
『 出席カードが配布されたあとの人数 』とが、明らかに違うのである。(笑)
出席カードを書き終わった生徒が、
後ろの出口から ぞろぞろと退出していくのだ。
その光景は、まるで避難誘導を無視して 自分の事しか考えずに、
人を押しのけて 我先へと避難しようとしているようだった。
なぜ今までも同じ光景を見ていたはずなのに、
少なくとも1年間は見ていたはずなのに、
全く気づかなかったのだろう。
そして、空席の目立つ教室で 授業が始まる。
またしても、わたしは驚きの光景を 目の当たりにしてしまう...
授業が始まって5分も経たない頃だった。
1番後ろの いつもの席に座っていたわたしは、あることに気づいたのだ。
なんと、
わたし以外、頭を上げて 先生の話を聞いている人がいないではないか。(笑)
みんな机に突っ伏して寝ているか、
下を向いて携帯をいじっているかの どちらかで、まるで話を聞いていない。
その光景は、まるでドミノ倒しのようだった。
黒板を見るのに、あまりに見晴らしが良いのだ。(笑)
生徒がそんな態度であるから、先生が張り切って授業をするわけもなく、
結局どの授業も プリントを配って軽く説明をし、
「 みんな疲れているだろうから、早めに終わらすな。」 だ。
生徒も生徒だし、先生も先生だ。
ここにいても、夢中になれる事を見つけるどころか、
『 腐ったミカンの法則 』で 自分まで腐ってしまう。
自分が成長できる場所ではないと、
当時のわたしですら 瞬時に悟ったのである。
「 大学つまんない。通う意味ってなに。 」
遂にこの言葉が、口をついて出てしまったのだ。
レールの上の人生 ② 【 生きているのが苦しい 】
日本の大学は、
『 入学するのが大変で、卒業するのは簡単 』と言われている。
逆に 海外の大学は、
『 入学するのは簡単で、卒業するのが大変 』と言われている。
どちらが良くて、
どちらが悪いなどの話ではなく、
なぜ日本の大学生たちは、
『 せっかく 色々なことにチャレンジできる
大学4年間を、遊ぶことに費やしてしまうのか 』
ということである。
中には、海外の姉妹校に留学したり、
海外に一人旅したりと、
たくさんのことにチャレンジしている学生もいるが、
いったい 全体の何%の学生が、
『 夢 』や『 目標 』を持って
学校生活を送っていただろうか。
少なくとも 当時のわたしは、
『 夢 』や『 目標 』を持っていなかった。
それどころか、
何か没頭できる事すらなかったのである。
当時、中高 運動部に所属していたわたしは、
休む暇もないくらいに
とにかく練習に打ち込んでいた。
毎日の 長い練習時間も、
意識が朦朧とする中 やり切り、
少しでも時間があれば、
家で 自主練習をしたり。
毎日の日課になっていた筋トレも 欠かさなかった。
『 他の誰かが 座り込んでいる時がチャンスだ。
練習は絶対に嘘をつかないぞ、人一倍練習しろ、努力しろ。』
顧問の先生にそう言われ、
何故か アホみたいに間に受けて(笑) 、
とにかく、とにかく練習した。
そうして、入部当時ビリだったわたしは、
約半年間で 1番手の『 エース 』と呼ばれる
ポジションを勝ち取ったのである。
『 強くなりたい、勝ちたい 』
その気持ちだけで、
どんなに苦しい状態でも 乗り越えられた。
今思い返すと、
ゾッとするような 練習メニューと 筋トレメニュー。
どうして、
途中で辞めるという選択肢がある中で、
最後までやり遂げることが出来たのか。
毎日感じる苦しさを、
『 充実している 』と捉えていたからである。
そして、この部活を通しての経験が、
今でも自分の自信となっている。
話を戻そう。(笑)
大学に入学してから1年間、
まわりの友達と同様に、遊ぶことしか してこなかったわたしは、
遊び飽きた時に、
自分がとても空っぽであることに気がついたのだ。
好きなことがない。
夢中になれるものがない。
『 せっかくの大学生活が、あまりに充実していない 』
ということを、悟った瞬間だった。
今までは 夢中になれるものがあったから、
それだけを見て、ただただ真っ直ぐ突っ走ってきた。
だが、その時はどうだろう。
比べてみると、
真逆の生活をしていたことに気づく。
それからというもの、
自分への失望感、両親への罪悪感、そして劣等感。
言葉では簡単に言い表せないほど、
わたしは絶望的な状態だった。
そして、
いざ夢中になれる事を探し始めたものの、
その暗中模索する気持ちが、
わたしを出口の見えない真っ暗なトンネルへと 追いやって行ったのである。
もがいても もがいても、
出られない真っ暗なトンネル。
出口に向かっているのか、
入口に戻っているのかさえも わからない。
いつしかわたしは、地面と にらめっこしながら歩くようになった。
心の中は、毎日が雨だった。
見るもの全てが、真っ黒に見えた。
何をしても、何を話しても 楽しくない。
ごはんが 美味しく感じない。
そして遂には、
生きていることすら楽しくないと感じるようになった。
毎日が苦痛で仕方なかった。
夜は、「 明日の朝 目覚めなければいいのに 」と思い、
朝、目が覚めると 「 どうして生きているんだろう 」と思った。
生きている意味が分からない、
生きているだけで苦しい、
そう思うようになっていった。
そんな日々が、約半年間続く...
長くて苦しい毎日の始まりである。
レールの上の人生 【 自由な生活 】
「 大学、つまんない。」
2年前の冬、
当時わたしは 大学2年生として 学校に通っていた。
大学は 渋谷にあったから、
比較的 『 遊ぶ環境 』は整っていたと思う。
苦しくて長い 大学受験を終えて、
その反動からか、
大学1年生の時は とにかく遊んだ。
今まで自分の足では行ったことのなかった、
渋谷 原宿 表参道 。
六本木や 麻布十番などなど、
夜になっても明るい街に、当時のわたしはワクワクしていた。
それもそのはずで、
わたしは一人っ子で、
両親はものすごく厳しかった。
中学3年生のとき、
友達とディズニーランドに行きたいと 話をした時も、
問答無用で 答えは 『 No 』。
帰りが17時を過ぎるため、
行かせるわけにはいかない とのことだった。
門限は厳しいし、
その上、1秒でも遅れれば 家のカギを開けてもらえない。(笑)
小学生の頃、
何度、たった2、3秒の遅刻で 家から閉め出され、
父親が仕事から帰ってくるまで
玄関の前で座り込んで待っていたことか。(笑)
おまけに、
同年代の友達は、小学生のうちから携帯を持っていたのにも関わらず、
わたしは高校に入るまで
携帯を持たせてもらえなかった。
他にも あげたらキリがないほど。
たくさん例はあるが、
当時のわたしが一言で言うなれば、
『 友達のお家とは、ちょっと違う 』家庭だったのだ。
そんな 『 まわりとは違って、かなり厳しい家 』で育てられたわたしは、
全くと言っていいほど、
友達と遊んだことがなかった。
小学生の時も、
毎日習い事ばかり ( 好きでやっていたものが多いが... ) だったし、
中高は部活 ( これも 好きでやっていたのだが... ) に明け暮れていた。
近所で友達と遊ぶことも あまりなかったし、
ましてや、
どこかに出かけることなんて ほとんど経験がなかった。
そんなわたしが、大学に入ったと同時に
『 自由 』を手に入れたのだ。
禁止されていたアルバイトも許可が下り、
自分で稼いだお金で、
洋服を買ったり 化粧品やアクセサリーを 大人買いしてみたり。
はたまた、夜の渋谷に繰り出して、
『 お酒と音楽を楽しむ 』などと格好つけて、
終電ギリギリまで
お酒片手に爆音のクラブミュージックで踊り狂ったり。
友達と、「 大学4年間は 遊び倒す!」と言っていたほど、
わたしは『 自由 』を、
目に見えないプレッシャーからの『 解放感 』を、
身体で感じ それを心地よく思っていた。
だが、いつからだろうか。
その『 自由な生活 』を、
楽しくない 退屈だ と感じ始めたのは。
そして、わたしは気づいた。
俗に言う『 趣味 』が、
1つもなかったのである。
つまり、夢中になれる事が何も無い状態。
見てみたい! 聞いてみたい! の
『 興味が湧くこと 』もない。
もちろん、
『 将来の夢 』どころか
『 チャレンジしてみたいこと 』もない。
ジャンルは何にしろ、
こうなりたい!という『 憧れるイメージ像 』があれば
まだ救いようがあったのかもしれないが、
当時のわたしには、それすら なかったのだ。
そして、
その自分の置かれてる 絶望的な状態に 気づいてから、
わたしは 『 遊ぶためだけに利用していた学校 』が
つまらなく感じるようになっていった。