夢が 現実になるとき。

 

 

 



15年前。

 

わたしが 小学2年生だったとき。

 


北海道で 家族3人で外乗🐎をして、

生まれて初めて 1人で馬に乗った。

 

 


その頃から、

「 おうちで、自分の馬🐴を飼いたい! 」と、

おっきな、とてつもなく おっきな夢を見ていた。

 



馬具屋さんのカタログを見ながら、

「 こんな お洋服着せよう、

ゼッケンはこの色が似合うかな 」

 

と、あんな風に こんな風にと

マーカーで チェックをし、付箋まで貼っていたほどだった。

 

一生懸命に電卓をたたき、

 

当時の 月に500円のおこづかいで

どうしたら 欲しい道具類が買えるのか、

 

揃えるまで どれくらいかかるのか、

必死に計算していた。

 

 

 

そして。


近所の公園の 横にある、

永遠とまっすぐ続く 川沿いを

愛馬🐴と一緒に お散歩するのが 夢だった。

 

 

夕日がとてもキレイに見えるその川沿いは、

 

近所の人が使うウォーキングコースとして

ある程度 整備されている。

 

 

その ウォーキングコースから 寄り道をして

隅っこに生えている クローバー🍀を食べさせたり、

 

夕日に向かって、川沿いを一緒に走ったり。

 

 

当時7歳だったわたしは、

「 叶えられない夢 」と知りながらも

 

ウキウキしたり、ワクワクしたり

していたものだ。

 

 

 


あれから、

約13年の月日が流れた 今。

 


「 叶えられない夢 」と知りながらも、

幼いながらも 憧れていた

 

 “ 自分の馬 ” を迎えて、

 

今日で 【 808日 】になる。

 

 

 

 

 

“ 自分の馬 ” を持つことになったのも、

 

単なる偶然ではなくて、

ほんとうに 巡り合わせ。

 

 

 なぜなら、

 

わたしのおうちは、

“ 決して ” お金持ちではないから。

 

 

父親が、経営者でもなければ

会社の お偉いさんクラスでもない。

 

父親は サラリーマンで

母親は 専業主婦の、

ごくごく普通の 3人家族。

 

 

何が言いたいのかと言うと、

 

「 親が買い与えてくれた 馬 」

“ ではない ” ということ。

 

「 偶然 」、

舞い込んできたもの ではないということ。

 

 

わたしが 馬の道に進むことを決め、

その中で 夢を掴むために

 

19歳のわたしが、今まで一度たりとも

下げたことのなかった 頭を下げ、

 

一生懸命、身振り手振りで 説得をし、

 

いただいたお金と

自分の貯金を 片っぱしから かき集めて

 

「 自分で 手に入れた 馬 」だということ。

 

偶然ではなく、

「 必然 」だということ。

 

 

 

こうやって、


あんなにも小さくて、
何にも出来なかった 1人の少女👧🏻が

 

今こうして、
夢を1つずつ叶えている。

 

 

もちろんその背景には、


どれだけの人の 理解 があり、気遣い があり、協力があったことか。

 

 

改めて思い返しても、

心にグッとくるものがある。

 

 

 

生まれて22年。

 


ほんとうに たくさんの挫折があったけど、

 

どんなに努力しても

花 開かないときもあったけど、

 

何一つとして、

無駄だったことはなかったと思っているし

 


これから先の人生も、


わたしは、

ひとつひとつのことに 真剣に向き合っていく。

 

 

それは、


10年先の自分が、

毎日 コンクリートの地面と 睨めっこしながら

ため息をつきながら 生活をしないですむようにでもある。

 

 

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