未来予測、そして、いま。

 

 

 

 


わたしたち人間は、
“ 未来を予測することは不可能だ ” と 気づいていただろうか。

 


今から10年前、

世の中に スマートフォンが普及し、
SNSが こんなにも発達して、

“ 歩きスマホ ” なんて言葉を
あちこちで耳にするようになることを、

果たして
10年前のあのとき、誰が想像していただろうか。

 

たった5年先の未来さえも、
わたしたちは予測がつかないのだ。



わたしは過去に、長期計画を立てて
自らを 泥沼に引きずり込み、

自分で 自分を 破滅へ導いたことがある。


今思えば、その当時のわたしは、

“ 夢を追いかけるための 長期計画 ” と題して、


自分の都合よく進む
“ いいイメージの未来 ” だけを 描いていたように思う。

言わば、自分勝手な 理想郷のようなものを
追い求めてしまっていたのだ。


自分勝手な理想郷と
現実とが 重なるわけもなく、

計画よりも 遅れをとってしまっていることに
焦りを感じ、それが 憤りと化し、

未来への恐怖にと 繋がってしまっていた。

 


あれもしなくちゃ、

いや、こっちもやらなくちゃ。

 

何が足りない?

 

あれも これも...

足りていないものだらけだ、

あぁ、どこから手をつけよう...

 

 

たくさん たくさん悩んで

片っぱしからチャレンジするのに、

 

自分の理想だけが 一人歩きをして

なかなか近づけていない気がして、

 

それにもまた焦り、不安と恐怖に苛まれる。

 

 

 


そんな過去を踏まえて、
わたしが大事にしていること。

 


それは、「『 今 』に集中する 」こと。

 


時には、目先のことだけに とことん集中する
“ 勇気 ”を持つこと。


これは決して、
視野を狭くしているわけではない。

後先 考えずに、突っ込んで行ってるわけでもない。


その後が より良い状態になるために、
『 今 』なにをすべきか。

を、一生懸命 頭を捻った上で
1つ1つ行動に移していく ということだ。


「『 今 』を集中して生きる 」ことへの覚悟って、
生半可な気持ちでは 出来ないと思っている。


もし こうなってしまったら、どうしよう。


このままで、果たして大丈夫なのだろうか。

たくさんの 不安や 恐怖、焦りと
対面することだろう。


やりたいことが より明確で、


且つ、将来への根拠のない恐怖に 打ち勝つことが出来たとき、

はじめて、
当たり前にやってくる毎日の中で
その一瞬一瞬に 集中することができる。

 


そして、
その『 今 』の積み重ねによって

過去の自分がいた環境よりも、
きっと、より充実したものを作り出せるようになる。

 


ほんとうに、ちょっとずつかもしれない、
気づけないほど 小さな変化かもしれない、

けれど、いつの日か
ちょっぴり余裕ができて、

自分の変化を振り返るタイミングと出会えたとき、
少しずつ結果が変わってきていることに
ひっくり返るほど 驚くはず。


未来を恐れず、過去に執着せず、
『 今 』を生きる。


 

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