1日の終わりに、『疲れた』と言うか『充実していた』と言うか。

 

今日も、キレイな夕日とともに 1日が終わりました (*^^*)☁️

 

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1日の終わりに、『 疲れた 』と思うか、『 充実していた 』と思うか。

 


その日1日を、どう過ごしたかの 簡単な セルフチェックができます😊😊

 

 

【 ただ言われたことを、聞いて そのままやる 】1日よりも、

 

仕事の効率・優先順位を【 自分の頭で考え、先々の流れを理解し、自分から動き出す 】1日のほうが、

 

より充実した1日を過ごせると思います (*^^*)

 

 


仕事内容的には、全く同じ毎日かもしれないけれど、

その中でもわたしは、

 


【 教えられたことを ただやるだけではなくて、自分で試行錯誤し、自分で経験し、自分で結果を創り出す 】

 

 

その能力を養うべく、
明日も 『 充実した1日へのスタートライン 』に立ちます!🏃🐎💨

成功する人は、失敗する人。

 

 

 

 

前に書いた記事から、

だいぶ日が空いてしまった...😢

 

それでも、

たくさん 頭の中で考えて、たくさん書き出して、自問自答の毎日でした。

 

blogに書きたいことが、たくさん溜まってしまったので、

過去の振り返り記事を 少し置いておいて、

 

今の頭の中を 整理していきたいと思います。

 

 

blogを更新していない間も、blogを開いてくれていた方、

ほんとうにありがとうございます😭❤️

わたしのモチベーションになります(*^^*)♡

 

 

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【 成功する人 】と、【 失敗する人 】。

 

 

「 成功する人 」と「 失敗する人 」を比較するのは、よくある話だ。

 

「 ○○の必勝法!」というタイトルで、

成功する人は、コレをやっている。が、失敗する人は、コレを選ぶ。

 

などと、両極端に見せかけるような記述をする。


今見れば、「 ? 」と感じるのだろうが、

わたしも つい最近までは、このことに違和感など感じたこともなかった。🙄🙄🌪

 

むしろ、納得していただろう。(笑)

「 だから失敗するんだよ〜 」と、小バカにさえ していたかもしれない。

 


たが、

『 厳しいと思っていることにも、声をあげて挑戦しなければならない 』状況に立たされている今、

気づいたことがある。


「『 成功した人 』=『 人より たくさん失敗してきた人 』である 」

 

 

と いうことだ。


メディアなどの、 【 成功した人 】を取り巻く環境は、

【 成功した部分 】しか見ていない。

 

 

もちろん、テレビや本に 出てくる、その【 成功した人 】は、

当然だが、” 成功してから ”  世の中に出てくる。


だから自然なのかもしれないが、

周りは 上手くいったところ、つまり 【 成功したところ 】だけを見ているのだ。

 

誰も、失敗をした所、苦しんでいた過去を わざわざピックアップして見る人はいない。

 

 

結果、『 成功したあの人は、才能があった。だから、結果がついてきた。』

となってしまう。

 

そこから生まれる プラスなものは何もなく、悲しい現実だが、

 

『 あの人は才能があったから成功した、ぼく/わたしには 才能がないから できないに決まっている。』

 

に繋がってしまうのである。

 

 

 

では、ここで『 成功した人 』の対義語としてくるのは、何か探ってみよう。

 

 

わたしが今まで触れてきた、あらゆる情報には、こんな事は書いてなかったので、

 

もちろん 正しいとは思っていないし、みんながみんなそうとは限らないだろうが、

 

あくまで わたしは、こう考える。



【 成功する人 】⇔【 ぐだぐだ 1人で考え込んで、結局 自分から動き出そうとしない人 】

 

 

わたしがこう、答えを出したのは、つい2日前。(笑)

 

実は、1週間前のわたしは、【 言うだけ言って、何も行動に移そうとしない人 】だった。

 

失敗、うんぬんの前に、そもそも やろうとしなかったのだ。

 

だからこの記事は、1週間前の自分への戒めでもある。(笑)

 

 

また次回のblogで、この1週間で体験したことを書こうと思います。(*^^*)

 

Good night !!! 🌚🌝

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レールの上の人生 ④ 【 トンネルの出口が見えたとき 】

 

 

 

 

 

 

 

ここまで、ただ淡々と 過去の自分を振り返ってきたが、

 

やっとここで、 『 今までの 下を向いて歩いてきた自分 』に別れを告げるときが来た。

 

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2014年の、3月。

 

 

春を目の前にして、まだ寒さが厳しかった あの時。

 

 

すっかり学校に行かなくなったわたしは、

 

毎日お昼過ぎから 営業終了時間 までアルバイトをし、

その他の時間を、近くのスタバで

『 夢中になれる事探し ( ただ飲み物を飲みながら、Googleで あれこれ検索していただけ ) 』をしていた。

  

 

大学生という肩書きは持っていたが、

いわゆる 『 フリーター 』というやつだ。

 

 

俗に言う、『 廃人 』。

 

 

でも そのやっていたアルバイトのおかげで、救われたことは間違いない。

 

 

 

毎日、老若男女問わず、たくさんのお客様とお話をするため、

身だしなみや 言葉遣いにも気を使い、

常に笑顔でいるように心がけていた。

 

 

逆に言えば、毎日そうしなければならない環境にいたおかげで、

 

悩んでいる時期も、鬱ぎ込まずに すんだのかもしれない。

 

 

 

その、わたしが 高校卒業してから始めていたのが、

 

【 乗馬クラブ 】でのアルバイト。

 

 

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!?!?!?

  

 

乗馬クラブで アルバイトなんてあるの!?

そもそも 馬扱えるの!?

 

乗れるの!? 

 

 

😂😂😂 (笑)

 

 

 

実は小学生の頃、

習い事の1つとして、2、3ヶ月だけ 乗馬クラブに通っていたことがあった。

 

 

今だから言えるが、

その頃は あまり面白く感じていなかった... (笑)

 

 

乗馬以外の、6つの習い事は 自分からやりたいと言い出したものだったが、

 

乗馬に関しては、父親の提案があって始めた習い事だったのだ。

 

 

その父親の提案理由も、少し変わっていた。

 

 

当時 反抗期だったわたしは、

物に当たることがすごく多かったようで、( 自分ではあまり覚えていない 😅)

 

毎日のように 家電が壊されていくのに、とうとう我慢ならなくなった父親が、

わたしを乗馬クラブへ連れて行ったのだ。

 

 

「  自分の思うようにならないから、普段 物に当たるんだよな。

じゃあ、馬に乗ってみろ。  言葉の話せない馬に乗って 走れるようになってみろ。

 

言うことを聞いてくれない事だってあるぞ、馬にだって意思があるんだから。  

そんなとき時、どうしたらいいのかを学んでこい。」

 

 

との事だった。

 

 

思うようにならないと、すぐ物に当たっていたわたしを見て、

動物相手なら 当たることが出来ないのを、上手く利用したのだ。 

 

 

おかげで、

割と早い段階で 心穏やかに過ごせるようになった。(笑)

 

 

そして何よりも、乗馬というスポーツがあることを知り、

馬が とても魅力的な動物であることを知った。

 

 

中学、高校とソフトテニス部に所属していたために、乗馬からは遠ざかっていたが、

 

高校卒業のタイミングで、アルバイトという形だが 馬と関わるチャンスが巡ってきた。

 

 

それが、乗馬クラブでのアルバイト。🐴

 

 

仕事内容は至ってシンプルで、

 

お客様のレッスンフォローと、

レッスン前の馬装講習 ( 鞍などの道具を着ける練習 )、

レッスンが終わった馬たちのお手入れ。主に この3つ。

 

 

わたしは ほんとうにこの仕事が大好きだった。

 

 

大好きな馬と、毎日一緒にいられる仕事。

 

なんて幸せなんだろう!と思っていた。

 

 

... と同時に、なぜ今まで気づかなかったのだろう、とも思った。

 

 

まさに灯台下暗し。(笑)

 

 

夢中になれる事を 見つけられた瞬間だった。

 

 

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レールの上の人生 ③ 【 自分の今いる現実 】

 

 

 

レールの上の人生 ① の記事でも書いたが、

 

大学1年間を遊び倒し、いざ2年生になって 遊び飽きた時に、

 

夢中になれる事を見つけられず、すっかり空っぽになってしまったわたし。

 

 

 

そんなとき、大学の授業を受けるために教室に入ったのだが、

不思議な光景を目の当たりにしてしまったのだ。

 

大学の授業では、ほとんどの授業で 出席カードというものが配られる。

 

 

本来、誰が出席し 誰が欠席なのかを確認するために導入されている物だが、

 

言い方を変えれば、

そのカードに 名前を書いて 先生に提出すれば、『 その授業を90分間フルで出席していたことになる 』という物でもある。

 

 

改めて言わずとも、誰しも容易に想像できることだが、

 

『 授業が始まる5分前に 教室にいた人数 』と、

『 出席カードが配布されたあとの人数 』とが、明らかに違うのである。(笑)

 

 

出席カードを書き終わった生徒が、

後ろの出口から ぞろぞろと退出していくのだ。

 

 

その光景は、まるで避難誘導を無視して 自分の事しか考えずに、

人を押しのけて 我先へと避難しようとしているようだった。

 

 

なぜ今までも同じ光景を見ていたはずなのに、

 

少なくとも1年間は見ていたはずなのに、

全く気づかなかったのだろう。

 

 

 

そして、空席の目立つ教室で 授業が始まる。

 

 

またしても、わたしは驚きの光景を 目の当たりにしてしまう...

 

 

授業が始まって5分も経たない頃だった。

 

1番後ろの いつもの席に座っていたわたしは、あることに気づいたのだ。

 

なんと、

わたし以外、頭を上げて 先生の話を聞いている人がいないではないか。(笑)

 

 

みんな机に突っ伏して寝ているか、

下を向いて携帯をいじっているかの どちらかで、まるで話を聞いていない。

 

 

その光景は、まるでドミノ倒しのようだった。

 

 

黒板を見るのに、あまりに見晴らしが良いのだ。(笑)

 

 

生徒がそんな態度であるから、先生が張り切って授業をするわけもなく、

結局どの授業も プリントを配って軽く説明をし、

 

「 みんな疲れているだろうから、早めに終わらすな。」 だ。

 

 

生徒も生徒だし、先生も先生だ。

 

 

ここにいても、夢中になれる事を見つけるどころか、

『 腐ったミカンの法則 』で 自分まで腐ってしまう。

 

 

自分が成長できる場所ではないと、

当時のわたしですら 瞬時に悟ったのである。

 

 

「 大学つまんない。通う意味ってなに。 」

 

 

遂にこの言葉が、口をついて出てしまったのだ。

 

 

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レールの上の人生 ② 【 生きているのが苦しい 】

 

 

 

日本の大学は、

 

『 入学するのが大変で、卒業するのは簡単 』と言われている。

 

 

逆に 海外の大学は、

 

『 入学するのは簡単で、卒業するのが大変 』と言われている。

 

 

 

どちらが良くて、

どちらが悪いなどの話ではなく、

 

 

なぜ日本の大学生たちは、

 

『 せっかく 色々なことにチャレンジできる

大学4年間を、遊ぶことに費やしてしまうのか 』

ということである。

 

 

中には、海外の姉妹校に留学したり、

海外に一人旅したりと、

 

たくさんのことにチャレンジしている学生もいるが、

 

いったい 全体の何%の学生が、

 

『 夢 』や『 目標 』を持って

学校生活を送っていただろうか。

 

 

 

少なくとも 当時のわたしは、

『 夢 』や『 目標 』を持っていなかった。

 

 

それどころか、

何か没頭できる事すらなかったのである。

 

 

 

当時、中高 運動部に所属していたわたしは、 

休む暇もないくらいに

とにかく練習に打ち込んでいた。

 

 

毎日の 長い練習時間も、

意識が朦朧とする中 やり切り、

 

少しでも時間があれば、

家で 自主練習をしたり。

 

毎日の日課になっていた筋トレも 欠かさなかった。

 

 

『 他の誰かが 座り込んでいる時がチャンスだ。

練習は絶対に嘘をつかないぞ、人一倍練習しろ、努力しろ。』

 

 

顧問の先生にそう言われ、

何故か アホみたいに間に受けて(笑) 、

 

とにかく、とにかく練習した。

 

 

そうして、入部当時ビリだったわたしは、

 

約半年間で 1番手の『 エース 』と呼ばれる

ポジションを勝ち取ったのである。

 

 

『 強くなりたい、勝ちたい 』

その気持ちだけで、

どんなに苦しい状態でも 乗り越えられた。

 

 

今思い返すと、

ゾッとするような 練習メニューと 筋トレメニュー。

 

 

どうして、

途中で辞めるという選択肢がある中で、

最後までやり遂げることが出来たのか。

 

 

 

毎日感じる苦しさを、

『 充実している 』と捉えていたからである。

 

 

そして、この部活を通しての経験が、

今でも自分の自信となっている。

 

 

 

 

話を戻そう。(笑)

 

 

大学に入学してから1年間、

 

まわりの友達と同様に、遊ぶことしか してこなかったわたしは、

 

遊び飽きた時に、

自分がとても空っぽであることに気がついたのだ。

 

 

好きなことがない。

 

夢中になれるものがない。

 

 

『 せっかくの大学生活が、あまりに充実していない 』

ということを、悟った瞬間だった。

 

 

今までは 夢中になれるものがあったから、

 

それだけを見て、ただただ真っ直ぐ突っ走ってきた。

 

 

だが、その時はどうだろう。

 

 

比べてみると、

真逆の生活をしていたことに気づく。

 

 

それからというもの、

自分への失望感、両親への罪悪感、そして劣等感。

 

 

言葉では簡単に言い表せないほど、

わたしは絶望的な状態だった。

 

 

そして、

いざ夢中になれる事を探し始めたものの、

 

 

その暗中模索する気持ちが、

 

わたしを出口の見えない真っ暗なトンネルへと 追いやって行ったのである。

 

 

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もがいても もがいても、

出られない真っ暗なトンネル。 

 

 

出口に向かっているのか、

入口に戻っているのかさえも わからない。

 

 

いつしかわたしは、地面と にらめっこしながら歩くようになった。

 

 

心の中は、毎日が雨だった。

 

見るもの全てが、真っ黒に見えた。

 

 

何をしても、何を話しても 楽しくない。

 

ごはんが 美味しく感じない。

 

 

そして遂には、

生きていることすら楽しくないと感じるようになった。

 

 

毎日が苦痛で仕方なかった。

 

 

夜は、「 明日の朝 目覚めなければいいのに 」と思い、

 

朝、目が覚めると 「 どうして生きているんだろう 」と思った。

  

 

生きている意味が分からない、

生きているだけで苦しい、

 

そう思うようになっていった。

 

 

そんな日々が、約半年間続く...

長くて苦しい毎日の始まりである。  

 

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レールの上の人生 【 自由な生活 】

 

 

 

「 大学、つまんない。」 

 

 

 

 

2年前の冬、

当時わたしは 大学2年生として 学校に通っていた。

 

 

大学は 渋谷にあったから、

比較的 『 遊ぶ環境 』は整っていたと思う。

 

 

苦しくて長い 大学受験を終えて、

 

その反動からか、

大学1年生の時は とにかく遊んだ。

 

 

今まで自分の足では行ったことのなかった、

渋谷 原宿 表参道 。

 

 

六本木や 麻布十番などなど、

夜になっても明るい街に、当時のわたしはワクワクしていた。

 

 

 

 

それもそのはずで、

 

わたしは一人っ子で、

両親はものすごく厳しかった。

 

 

中学3年生のとき、

 

友達とディズニーランドに行きたいと 話をした時も、

問答無用で 答えは 『 No 』。

 

 

帰りが17時を過ぎるため、

行かせるわけにはいかない とのことだった。

 

 

 

門限は厳しいし、

その上、1秒でも遅れれば 家のカギを開けてもらえない。(笑)

 

 

小学生の頃、

 

何度、たった2、3秒の遅刻で 家から閉め出され、

 

父親が仕事から帰ってくるまで

玄関の前で座り込んで待っていたことか。(笑)

 

 

おまけに、

同年代の友達は、小学生のうちから携帯を持っていたのにも関わらず、

 

わたしは高校に入るまで

携帯を持たせてもらえなかった。

 

 

他にも あげたらキリがないほど。

 

 

たくさん例はあるが、 

 

当時のわたしが一言で言うなれば、 

『 友達のお家とは、ちょっと違う 』家庭だったのだ。

 

 

そんな 『 まわりとは違って、かなり厳しい家 』で育てられたわたしは、

 

全くと言っていいほど、

友達と遊んだことがなかった。

 

 

小学生の時も、

毎日習い事ばかり ( 好きでやっていたものが多いが... ) だったし、

 

中高は部活 ( これも 好きでやっていたのだが... ) に明け暮れていた。

 

 

 

近所で友達と遊ぶことも あまりなかったし、

 

ましてや、

どこかに出かけることなんて ほとんど経験がなかった。

 

 

 

そんなわたしが、大学に入ったと同時に

『 自由 』を手に入れたのだ。

 

 

 

禁止されていたアルバイトも許可が下り、

 

自分で稼いだお金で、

洋服を買ったり 化粧品やアクセサリーを 大人買いしてみたり。

 

 

はたまた、夜の渋谷に繰り出して、

『 お酒と音楽を楽しむ 』などと格好つけて、

 

終電ギリギリまで

お酒片手に爆音のクラブミュージックで踊り狂ったり。

 

 

 

友達と、「 大学4年間は 遊び倒す!」と言っていたほど、

 

 

わたしは『 自由 』を、

目に見えないプレッシャーからの『 解放感 』を、

 

身体で感じ それを心地よく思っていた。

 

 

 

だが、いつからだろうか。

 

 

 

その『 自由な生活 』を、

楽しくない 退屈だ と感じ始めたのは。

 

 

そして、わたしは気づいた。

 

 

 

俗に言う『 趣味 』が、

1つもなかったのである。

 

 

 

つまり、夢中になれる事が何も無い状態。

 

 

見てみたい! 聞いてみたい! の

『 興味が湧くこと 』もない。 

 

 

もちろん、

 

『 将来の夢 』どころか

『 チャレンジしてみたいこと 』もない。

 

 

 

ジャンルは何にしろ、

 

こうなりたい!という『 憧れるイメージ像 』があれば

まだ救いようがあったのかもしれないが、

 

当時のわたしには、それすら なかったのだ。

 

 

 

そして、

その自分の置かれてる 絶望的な状態に 気づいてから、

 

わたしは 『 遊ぶためだけに利用していた学校 』が

つまらなく感じるようになっていった。

 

 

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普通の生活

 

 

 

 

 

 

「 大学を卒業したら、

普通に仕事をして、定年退職まで務め、

その間に 家族を持って 家を建て。

 

いわゆる 『 普通の生活 』というものを、

送っていくことになったのかもしれないですが、

 

 そんな未来は、皆さんの中の ごく一部の人しか歩まない...

 

いや、歩めないと思います。」

 

 

 

これは、近畿大の卒業式で、

ホリエモンが 卒業生に贈った言葉だ。

 

 

 

では『 普通の生活 』とは何だろう。

 

 

小中学校までは、なにも考えないで好きな事を好きなだけし、

 

流れで高校受験をして、高校に入学。

 

 

そして3年間で、夢や やりたい事が見つかるわけでもなく、

進学か 就職かを決める。

 

 

わたしの高校では、全体の99%と言っていい程の ほぼ全員が、

大学か 短大、専門学校へと進んだ。

 

 

この、進学を決めた99%のうち、

 

何%の生徒が 目標や夢を持って、自らで考え その道に進んだのだろうか。

 

 

かく言うわたしも、

流れで大学受験をして、流れで大学に入学した人の 1人。

 

 

その当時のわたしには、

まるでやりたい事がなかった。(笑)

 

 

高校受験の時のように、

 

行きたい学校、進みたい学部、入りたい部活、

学校生活はこう送りたい! などの キラキラしたイメージは一切なく、

 

行きたい大学もなければ、専攻したいものもない。

 

何なら、大学に入ってから 4年間で

何をしたいかも分からない...

 

 

『 受験生だから 』と言う理由で、

ただ ダラダラと塾に通い、

 

偏差値のより高い大学に合格するためだけに、

勉強をしていた。

 

 

と言うより、

 

『 偏差値の高い大学に合格すること こそが、その後の人生を豊かにする 』

 

と教わっていた。(笑)

 

 

偏差値の高い大学に入れば、

ブランド大学だから 一流の企業に就職ができる。

 

一流の企業に入れば安泰。

 

人生は幸せそのもの。

 

 

という考えらしいが、

 

 

では、

 

大学に入ってから4年間で

『 そう甘くはない 』ことに気づいて、自ら動いた人が、

 

一体何人いただろうか。

 

 

いたとしても、一握り。

 

いや、一摘み 程度なはず。

 

 

「 これからは、権威が当たり前ではなく、

当てにならない時代になってくる。」

 

ホリエモンも言う。

 

 

流れで就職をした人。

権威、例えばマスメディアが言うこと。

 

あるいは 就職して上司の言うことに 従って生きてきた人。

 

 

そんなレールの上を走ってきた人達は、

必ず度肝を抜かれることだろう。

 

 

友達みんながやっているから わたしも...

 

上司の意見に従って わたしも...

 

 

日本人特有なところはあるかもしれないが、

 

この様な時代は、

とうに終わりに近づいていると言われている。

 

 

インターネットによる、グローバル化が進んだ

 これからの時代に 求められるのは、

 

 

自分で情報を集め、

自分の頭で考えて、

それを自分の言葉で発信すること。

 

 

頭の中を整理して、

『 自分で考える癖 』をつけること。

 

 

そうすれば、

『 自分で考えて 判断する力 』もつくし

 

 

何より、

『 自分で判断したことを 行動に移せる 』ようになるはずだ。

 

 

 

わたしは 約3年前から今に至るまで、

2本目のレールの上を走っている。

 

 

が、わたしは今、

そこから離脱することを考えている。

 

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